ハニー?バニー!ビーツ♪SS

ストーリー

  01 熊貝律は家から出ない  




 写真の中は箱庭だと、彼は言った。

 そこでは、確かな世界があって、写真の中では自分の頭の中で世界が出来上がるのだと、キラキラした瞳でいつの日か、語っていた。
 プラスチックで作られた贋作ジュエリーも、紙で組み立てられた偽物の花も、全て本物のように輝いている。

 その世界は憧れだ。

 美しく着飾っている写真の中の人は、今でも色褪せること無く私の瞳の中に映り込んで、輝いて、頭から離れることはない。
 いつか、いつか私も彼を着飾り、この美しい世界の中に閉じこめられるのだと、信じて疑わなかった。
 贋作ジュエリーも偽りの造花だって、本物に変わるのだと、幼い私は思いこんでいたのだ。


***



 雑居ビルの一室は、埃臭いがしてあまり好きじゃない。
 爽やかな朝の少し水の含んだ香りとは違った、不健全な薄暗い香りは一日の始まりに相応しくなかった。歩けば足音の響くビルは、古ぼけていて、何か出るのではないかと最初こそは感じていた。
 依織はスクールバックから、無理矢理渡されたクマのキーホルダーの付いた鍵を取り出して、金属音をがちゃがちゃとビルに響かせ、重たい扉を開けた。
 ローファーの靴の音をわざとらしく鳴らし、ヤの付く自由業の事務所のようだと、一人の社員が愚痴っていた応接室を通り過ぎて、自称社長室の前にたった。
 依織は些か乱暴に、扉を叩き、家主の起床を促した。

「律さん、いつまで寝てるんですか?いくら自営業でも、ゆっくり寝てられる身分じゃないでしょう?」
「あの〜依織さん?朝から、耳の痛い言葉で起こすのやめてくれません?」
「事実じゃないですか、おはようございます熊貝 律社長」
「オハヨウゴザイマス、紡木依織さん」

 有限会社ロジカルベアが入れられた、この熊谷ビルの持ち主であり、ロジカルベアの社長が、目の前の布団にうずくまった男だという事実は受け入れ難いものだ。
 若干32歳で起業したは良いが、タレント事務所だと言うのに名のあるタレントは一人もいない。
 最近になって、やっとスカウト出来た絶世の美少年は現在育成中という状況で、実績も利益も何もないのに朝からベットに引きこもっている社長に、不安を感じた。

「しっかりしたハトコを持った俺は幸せものだな・・・、お嬢はガッコー大丈夫なのか?」
「律さん・・・その台詞、布団から出て言って下さい」
「あ、っちょ・・・布団めくらないでください!!」
「その引きこもりコミュ症で、よく芸能事務所作ろうなんて思いましたね!」
「思い立ったら行動せずには居られなかったんだよ!!わっ、ちょ、バカッ!ヤメロ!!」

 抵抗する布の固まりを無理矢理取り除けば、そこには目映いばかりの輝きを放つハトコの姿があった。
 窓から差し込む光も相まって、どこか神々しささえ感じて、思わず私も身構えてしまう。引きこもりでなければ、コミュ症でなければ、くらっと魂を差し出してしまいそうだ。

「な、なんで・・・取っちゃうんだよ、恥ずかしい、外の光が眩しい・・・カーテン締めてくれよ」
「これが普通です。なんで、親戚の前なのに恥ずかしいんですか?」
「だ、だって依織ちゃん間近で見るの久しぶりだし」
「昨日も会いました!」
「いや、12時間ぶりだし」
「屁理屈言わないで下さい!!」

 スッと通った鼻梁、優しげな目元や薄い唇は、寝癖や寝起き、情けない表情など微塵も気にならない。
 しかし、コミュニケーション不足が故にどこかか細い声は、布団越しにした会話の人物のものとは思えない。堂々とした口調も何処かに飛んで行ってしまった。
 必死で顔を大きな白い両手で覆い隠す男は、本当に30を越えた男なのかと疑うほど若々しく、頼りなかった。
 いつの日か、笑顔で依織に色々なことを教えてくれた男は存外、情けない男に成り下がってしまったのだ。
 それでも、依織はこの事務所を手伝うのは、幼いことに見た、彼の輝いた面影を追いかけてしまっているのかもしれないと、諦めきれない自分を笑いながら、律の世話を焼いてしまう。

「私も、もうすぐ学校に行かなきゃいけないですし、何よりもう音無さん来ちゃうよ?」
「あいつ、しゃべらないから居ても居なくても一緒だし、クマ持って行ってもらえれば問題なし」
「・・・そういうめちゃくちゃな営業とか、スカウトしてるから、タレントが集まらないのわかってる?」

 だいたい、事務所で唯一のマネージャーである音無さん喋らないし、社長はクマのヌイグルミ越しに喋る芸能事務所怪しすぎる件についてもう少し考えて欲しいと依織は思った。
 先日、写真撮影を了承してくれた蜂須賀も激しく怪しんだ上に、ほとんど強制的に連れてこられたものだった。素人である依織が撮影した写真を、いたく気に入ってくれた事だけが唯一の救いと言うものだろう。
 趣味の手芸が高じて、スタイリスト兼カメラマンとしてこの事務所の手伝いをしているが、何時かは素人の依織など必要のない程のスタッフを集めなければならない。

 いつか、きっと、依織は必要じゃなくなることに気付いていた。

 それでも、いつの日か憧れた画面の中の箱庭を作りたくて、何かを閉じこめたくて、この事務所に来てしまう。
 自分は輝けなくても、原石を磨き上げて、魔法を使ったみたいに人を輝かせる。
 蜂須賀の抜けるような白い肌にメイクを施し、自らの作った衣装を来てもらい、プロップスタイリングした場所に立ってもらった瞬間、やりがいを感じたのだ。
 世界が色付いたのだ。
 いつか役に立たなくなるその時まで、此処に居たいと強く思ったのだ。
 社長室に飾られた蜂須賀蜜也の写真を見ながら、その日の出来事を思い出した。
 憧れが少しだけ、手元に近づき始めているようで、遠のいている感覚は、どうしようもなく不思議だ。

「あ、そうだお嬢」
「何?って、なんでカーテンに隠れてるの?」

 そろそろ、彼には社会適応という言葉を誰か教え込んで欲しい。しかし、この事務所にまともな大人は見当たらなかった気がする。

「クマ置いてないんだから、いいだろうが!そうじゃなくて、前に会った同級生君について聞きたいことがあるんだけど」
「前にあった・・・?それって宇佐見君のこと?」
「え、あの少年、あんなクールな顔してウサギ君なんて名前なのか?」
「ウサギじゃなくて、宇佐見君」
「名前はどうでもいい、顔と見た目と、ちょっとしか聞いてなかったが、良い声だったな」

 いや、どうでも良いって名前聞いたのそっちじゃない。依織は、律の理不尽な対応にため息を吐き出したくなった。
 しかしその後に続いた言葉に、依織は迷わず食いついた。

「だって宇佐見君、本人自覚してないけど他校にもファンがいる位に人気あるよ?去年の文化祭だって、円君達とやってた軽音部のゲストヴォーカルしてて、すっごく格好良かったんだから」

 宇佐見響也は、この辺の女子高生が知らない者はいないのでは無いかと言われているイケメン男子高校生だ。175センチと背はさほど高くはないが長い手足に、秀麗な美貌は登下校の注目の的だった。
 華やかな容姿とは裏腹に、女子生徒と滅多に交流を図らない硬派な点も人気を確立して行っている。本人は至って隠しているつもりらしいが、友人たちの情報網によると、甘いものが大層お好みらしい。
 依織も積極的に宇佐見と関わっている部類では無かったが、昨年の文化祭で見た有志のライブパフォーマンスは圧巻で本物の芸能人か何かのような盛り上がりだった。
 一時の時の人となっていたが、彼自身は恥ずかしかったと思っているらしく、表に立とうとは思っていないらしい。
 クラスメイトが褒められ、思わず饒舌に宇佐見響也の情報を律に語っていたら、からかうような声色が依織の鼓膜を刺激した。

「お嬢、ウサギくんの事好きなのか?」
「そんな訳ないでしょう?私と宇佐見君じゃ次元が違うよ!この前の蜂須賀さんも吃驚するくらい、綺麗だったし、身近にとんでも無い人がいるもんだね」
「ハニー様は、もういくつもの事務所からお声が掛かってるようなラスボスだ。あんな奴、ぽんぽんいたら怖いわ」
「もしかしてハニー様って、蜂須賀さんの事?」
「あの女王様気質に、堂々とした振る舞い、アイツが芸能やらないなんて損どころの話じゃないよな!蜂須賀蜜也だから、ハニー様、ぴったりのあだ名だろ?」
「確かに、そんな感じはするけど・・・」

 あんなにも堂々と「僕がかわいいのは当たり前」「この僕を撮影できる事、光栄に思ってよね」なんて言われても、思わずハイと返事させるような気迫をもった人は早々いない。
 事務所を設立してから、暫くして近くのカフェで逸材を見つけたと騒ぎだしてから何ヶ月も音無さんが通い出した時は正直驚いたし、口説き落とした時はもっと驚いた。
 本当に連れてくるなんて、微塵も思ってなかったからだ。洗練された美しさは、努力が垣間見えてより一層驚いたのは記憶に新しい。

「なあ、そのウサギくんって奴、今日うちに連れてこれないか?」
「え?宇佐見君を!?」

 この目の前のクマ男(というには中身が虚弱すぎる)は何を考えているのだ。
 宇佐見響也が芸能活動に興味のあるような人物とは、とてもではないが依織は思えなかった。テスト期間はまじめに勉強して、程々に授業中も発言をして、至ってまじめに授業を受けているし、大学進学を検討しているのか、進路資料室に向かっていく様子も見たことがある。
 よく登下校は音楽を聴いているところを見かけるが、あくまで好きという様子だと思うのだ。ここまで考えていて、依織は思いの外、宇佐見響也を観察している事に気付いて少しだけ恥ずかしくなった。
 このままでは、律の言うとおり、宇佐見響也の事を気にしているみたいだ。
 そうではない、クラスにあんな奇跡レベルのイケメンが居れば自ずと目に入ってしまうものだろう。そうに違いない。そう自らに言い聞かせている間にも、目の前の男の暴走は止まらなかった。

「何って、うちの事務所に引き込むに決まってるだろ?」
「当然みたいに言わないで!」
「歌える奴欲しかったんだよなあ、やっぱりハニー様も俳優とかタレントとして売っていく前に、一回は歌わせておいた方がステージングの勉強にもなるし!なんていうの?ほら、売名行為って奴だよ!ウサギくんも、なんだかんだいい感じだし、まだ高校生だから180位には身長延びたらモデルでも通るしな」
「唐突に会話がゲスだ!!」

 勝手に同級生を商売道具にしないでほしい。しかも、蜂須賀とのセット販売のような言い方が、大人の汚い部分を垣間見た気分になってしまう。
 宇佐見響也の、将来の売り方までも考え始めている律はもう完全に宇佐見を巻き込む気満々だ。

「バカ野郎!王道の売り方って言うんだよ!うちみたいな出来立てホヤホヤの弱小事務所がタレント売るの大変なんだからな!!」
「だから、最初から猪野田さんにお世話になっておけば良かったのに、律さんが断っちゃうから」
「ほら、俺、人に従う性格じゃないから」
「その前に人に関われないじゃないですか」
「傷つくからやめろ」

 我が親戚ながら、どうしようもない男だと依織は少しだけ悲しくなった。この男が社長でやっていけるのだろうかと、この事務所の行き先を憂いたくなった。
 時計を見れば、高校に遅刻するかしないかの時間が差し迫っていた。日がなグータラしている引きこもりの相手をしている場合ではない。

「律さん、私学校に行くけど、ちゃんと起きてお仕事しないとダメだからね?というか、外に出てよ?」
「はいはい。お嬢も、放課後はちゃあんと、ウサギくん連れてきてくれよ?」
「え?」

 ドアノブに手をかけようとした瞬間、不穏な言葉が聞こえてきて、依織は思わず振り向いた。
 そこには依織が作った一体のくまのヌイグルミが鎮座しており、律はカーテンにくるまっている。また、この男は逃げているのかと呆れたが、楽しそうな声色に、依織の心も踊っていく。

「今日の俺の仕事はウサギくんを口説き落として、事務所に入れることだからな」
「ちょ、ちょっと、勝手に決めないで!!」
「まぁまぁ、お前も学校のアイドル君の写真を撮るチャンスじゃねえの?詳しくなるくらい観察してたんなら、写真の一枚や二枚撮りたくなるだろう?」
「んなっ・・・何言って」
「じゃ、よろしく頼んだぞ?あ、そうだ音無に頼んでハニー様も、呼び寄せとくか」
「ちょっと、律さん!なに勝手に話、進めてるの!?無理だからね!あの宇佐見君に話しかけるなんて!」

 高校のアイドル、超人気者、しかも本人はクールで近寄り難い性格とくれば、窓際族の依織には不可能だ。
 先日、蜂須賀に会いに行った際に偶然会って話はしたが、打ち解けた気はまるでしなかった。(少々挙動不審だとは思ったが)

「ほらほら、お嬢、遅刻するぜ?」
「誰のせいだと思って、うわ!本当だ、急がないと!!」

 依織はあわてて事務所兼熊貝律の自宅を飛び出したが、やはり釈然としない気持ちを抱えながら登校することになったのだ。
 学校に着いた瞬間、事務所の唯一のマネージャーである音無から「男子高校生楽しみ」と言う些か犯罪臭いメッセージが来ていて、後に引けない状況になっていた。

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