ハニー?バニー!ビーツ♪SS

ストーリー

  前日譚 宇佐見響也の場合  



 チリンと鳴るレトロな、可愛らしい鈴の音は、不思議と耳を癒す。
 しかし、癒された瞬間に目に飛び込むショーケースに映った、マスクをつけた黒縁メガネの怪しい男子高校生の姿。

 そう、つまりは俺だ。

 ショーケースに彩られた、可愛いケーキの数々と、共に映った自分の姿は酷く不釣り合いで、正直、マスクだけか、メガネだけにすればよかったかもしれない、と後悔した。
 やっぱり帰ろうかと、挙動不審に視線を右往左往させていると、目の前に甘い香りが広がる。
 そこには、可愛らしい顔をした店員が、満面の笑みで出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ!お待たせしました、本日は、お持ち帰りですか?それともお食事ですか?」

 しかし、嗚呼、残念ながら男である。
 甘い香りをしていても、自分より幾分か小柄でも、甘くて、大きな瞳をしていても、きめ細かい白い肌でも、どうみても男は男だ。
 何より低めの甘い声がそれを物語っている。思いの外、見た目に対し、低い声だと思ったが、妙に馴染んでいて、不思議な感覚を覚えた。
 初めて来る店だが、こんなに可愛い喫茶店の給仕が男なんて珍しいと、ぼんやりと眺めてしまった。

 あと男の制服なのに、やたらと可愛いのだ。
 ……これ、絶対に顔とかスタイル面接あるだろ。むしろ、顔面の面接しかないだろ。
 選ばれたものしか着こなせないような、制服を眺め、自然と顔をひきつらせるのは、健全な男子高校生の反応だと思う。

「お客様、僕に見惚れるのは構いませんが、どちらになさいますか?」
「え……は?いや、あ、っと、持ち帰りで」
「畏まりました!では、こちらのショーケースをご覧ください」

 見惚れる?僕に?いやいや、自意識過剰じゃねえのか!?
 確かにきれいな顔とは思ったけど、男に懸想する趣味はねえよ!なんて大っぴらな文句を、カフェ店員に言うほどの勇気はない。
 てか、此処の店員ちょっと変わってる?
 ガラス張りになった厨房の中を覗き、様子を伺うと、男所帯らしく店内の、甘い雰囲気には不釣り合いな印象を持った。
 喫茶店の店内は、イギリスのアンティーク雑貨で囲まれており、ちょっとしたマナーハウスのような雰囲気が、心を躍らせた。
 戸棚に飾られたティーセットや、瓶に詰められた手作りクッキーや、スコーンにも、趣を感じる。店舗自体は、手狭な印象を受けるが、テーブルも拘って選んできたと一目で分かる猫足テーブルに、紅茶漬けされたような色のテーブルクロスは、上質なものだ。

 自然と頬が緩くなってしまう。

 壁や小物がピンク一式の店だと、男一人じゃ入り辛いが、こういったアンティーク調の店ならなんとか、勇気を出して入ることが出来るのだ。
 ティールーム『銀の猫』は、学校からも離れているので、知り合いに合う可能性も0。
 こうした"お使い"も、遂行することが出来る、数少ない店舗だ。

 こんな見た目で、男で、17にもなるのに、悲しきかな、気づけばいつの間にか、少女趣味だった。
 美味しそうな甘いお菓子は楽しみたい、可愛いものを見れば手元に、置きたくなってしまう。
 止めなければけないと、男なんだから格好良くなれよと、ピンクよりも赤を選ばなければならないことも、自覚もしている。
 邦楽ロックも、ゲーセンも、少年マンガも、バイクなんかにも少しの興 味はある。
 別に、ロックが好きだと、自分に言い聞かせて誤魔化している訳ではない。ギターを弾くことだって好きだし、楽しいと思っている。
 友人達とゲームセンターで、カーチェイスで遊ぶことも、バカみたいに騒ぐことも嫌いじゃない。
 しかし、ふと気が付けば、"可愛い"方を選んでしまっていた。

 幼い頃は、別に気になどしてなかったのだ。
 姉のおもちゃで、一緒に着せ替え遊びや、魔法少女アニメの真似事だって、平然としていた。しかし、周りの男子はライダーやら戦隊モノごっこで、遊んでいたし、カードゲームで己の知力と戦略で競い合っていた。
 俺がピンクのステッキを持って、人々を幸せな気持ちしている間に、友達は真っ赤な変身ベルトで、人々を守るために、戦っていたのである。
 些細な違いが、違和感に変わり、自分は異質なのだと自覚した。
 少女の面を、ひた隠しに、男らしさを追い求めようと、努力したが、どうしても綻びが生じてしまう。
 好きなもの、つまり可愛いものには目を向けるし、反応するのだ。
 ただ、いつのまにか、口に出して「可愛い」と素直に褒めることはなくなってしまった。その言葉を口に出すことに、どうしようもない羞恥心を覚えてしまう。

 自意識過剰の自覚なんて、とっくにしている。

 それでも、俺は、男だから、隠したいと思ってしまう。
 人前で、苺タルトは食べられないし、緩んだ頬を見せることもしない。
 それが、俺の持つ印象で、レッテルで、イメージで、それをぬぐい去るのは、あまりにも難しくなってしまった。

「お客様、ケーキはお決まりですか?もし、お悩みならお伺いしますが」
「えっ?あ、いや、苺タルトのホール一つと、焼き菓子の詰め合わせ……500円の一つで、お願いします」

 思いの外、早口で答えてしまった事に恥ずかしくなり俯いた。おいおい、これじゃあ本格的に怪しい奴じゃねえか……?

 逆にこういうのって、堂々としてた方がいいのか?

 いや、でも、俺のビジュアルで堂々とオシャレなカフェで苺タルト食うのって、どうなんだ。

 子供連れも泣く様になってしまうのか……もしくは、ッシ見ちゃだめ!みたいな、なんだか見てはいけない光景って感じに映るのか?

 ヤバい、考えるだけで、なんか落ち込んできたかも……

「この苺タルトはシーズン的にも、今週いっぱいで終了だったんですよ。来月からは別のフルーツになりますから、楽しみにしてて下さい」
「え、あ……そうっなん、すか……」

 なんで、俺、男の店員相手に挙動不審に返事してるんだろう。思わず、声も裏返ってしまった。自意識過剰気味の店員も、不審者をみる感じの視線向けられていた。

 いや、別にお前が相手だから緊張してるわけじゃなくて、普段も、この反応だからな!
 勘違いするなよな!お、お前だけじゃないんだからなっ!

 脳内で、目の前の店員に対して無意味な抵抗をしてみても、伝わるわけもない。
 最早、ただ黙って睨みつけてくる不審者の図にしかならない。
 嗚呼、張り付けたような店員の笑みが辛い。
 とりあえず俺は、心の中で、少し凹みながらモソモソと、黒いスクールバックから、これまた黒い長財布を取り出した。
 その行動を見て、早く帰れとでも言いたげに、キビキビと行動を起こす、目の前の自意識過剰気味な、店員はドライだと思う。

「では、お会計がまとめて3800円でございます。当店のポイントカードなどお持ちでしょうか?」
「いえ、あ……作っといて貰っていいっすか?」

 ちらりと見えた苺模様のカードが目に入り、これは可愛いと反射的に答えてしまった。
 しかし、よくよく考えたら、うっかり何かの拍子に、こんなラヴリーなポイントカードが黒い財布から飛び出したら、絶対に円に騒がれる。モテ研究に余念がないアイツの事だ、確実に、ナンパ目的で一緒に訪れようなどと言い出すのだ。
 そんなの許せるわけがないだろう、こんな神聖で可愛い場所でナンパなんて、行為は神が許しても、俺が許せない。いや、円が何をしようが、俺が口に出せる権利はないな。
 思考回路をとばしていると、笑顔を塗り固めた自意識過剰の店員がスタンプカードを差し出していた。しかも若干、不機嫌そう。客商売なんだから、不審者でも顔に出さずに、そこは頑張っていただきたいところだ。

「初回10ポイント分、押しておきますねえ?」
「(コイツ、また来るのかよって顔してるよな……?隠そうともしてないよな……)」

 次、来るときは、姉に頼んで一緒に来て貰うしか無いのだろうかと、ポイントカードをポケットに仕舞い、商品を受け取った。
 やっぱりマスクがダメなのだろうか?
 それともメガネでも隠し切れてない目つきの悪さなのだろうか?
 自らの不審者度を上げている部分について考えながら、アンティーク調の扉を開ければ、鈴の音だけが聞こえてくる筈だった。

「ひゃっ……」
「えっ……あ、す、すみません!余所見してて、あの、大丈夫っすか?」

 前方不注意で扉を開けてしまったせいか、入ってこようとした女性が勢いで、前のめりになって、俺の胸に飛び込んできた。
 ふわりと花のような甘い香りが、マスク越しに漂ってきた、これは役得、じゃなくて、ぼんやりしすぎた!
 やべえ、このまま謝っても、不審者、強面のダブルパンチで、通報コースじゃねえか?
 片手で被害者女性(恐らく同年齢)を抱えながら、手錠を掛けられる自分の姿が目に浮かんだ。
 いや、それは大袈裟か……でも、この現代社会、なにが起きるかわかんねえし!
 現代社会の闇を憂いつつ、そっと被害者女性を見下ろせば、見慣れた制服と、見慣れた頭頂部が目に入った。

「いえ、こちらこそ……鈍くさくて、ってあれ?宇佐見君?」
「え、あ……おまっ、おま……」
「なんで、宇佐見君が此処に?お家この辺なの?」
「いや、違うけ…ど……」

 動揺のあまり、名前が咄嗟に言い出せない、同じクラスの手芸部の女子だ。
 話したことが少ない割に、細かいデータばかり出てきて、上手く応答できない。教室の角の席で、友人達と朗らかに微笑んでいる光景は、いくらでも目に浮かぶというのに、名前が咄嗟に浮かばないのは、まともな会話をしてこなかったせいだろうか?
 いや、嘘だ、脳内で何回も繰り返して名前を呼んで、会話しようと試みてきた。小物が可愛いだとか、その鞄につけているマスコットは手作りなのかだとか、そういう、話を何度も、何度も持ちかけようとしていたのだ。
 口がうまく動かないのも、そのせいだ。
 彼女を目の前にしてしまうと、脳内の少女趣味波動が、伝わってしまうんじゃないかなんて意味の分からないことを考えてしまうからだ。
 俺に構うことなく、彼女は、不思議そうな表情で、ビー玉のような邪気のない目で俺を見つめていた。
 つうか、なんで完璧な変装してんのにバレてんだ!?

「てか、よくわかったな……」
「この辺りに、こんなスタイル良くて、格好いい男の子そういないよ?」
「スタイル良くて、か、格好いい?俺が?」
「うん、私の友達、みんな言ってるよ」
「マジかよ」

 なら、もっと積極的に俺の所に来いよ!
 そんな評判耳に入ったことねえんだけど!
 友達が居ないわけでも、交友関係が狭いわけでもないのに、情報が遮断されていて、知らなかった。もしかして、コイツ周辺だけの評判なんじゃねえか?そうだろ、絶対そうだろ?壁際女子の好感度は急上昇だ。

「それに、去年の文化祭のライブも、すごく格好良かったから…!もう、本当に有名人なんだよ、宇佐見君。でも、学校と雰囲気違うね」
「え、あ…そうか?い、いつも通りだけど……」

 いつも通りなら、どもってんじゃねえよ俺!
 こんなに素直にべた褒めされる事など、滅多にないせいか、柄にもなく動揺してしまっている。というか、女子と話すことも少ないので、動揺してばかりだ。
 すげえ、気になる女子ランキング急上昇中だ。
 チョロいのはわかってるけど、わかってるけど…女に格好いいって褒められて嬉しくない男なんて居ないんだと思う。いや、俺は格好いいて褒められて、すごく嬉しいのだ。

「うん、学校じゃ近寄りづらい印象だったから……」
「そうなのか…」

 俺が頑張って積み上げてきたクールっぽいイメージは、逆効果だったのかもしれないと、頭を抱えたくなった。やっぱり円みたいに、アホっぽく男子高校生剥き出しで、女子が好きと云っていた方が良かったのかもしれない。
 いや、俺がそれやると、ただの変態お兄さんみたいになるだけだな…ダメだ、俺に気安いモテキャラなんてイメージ積み上げられない。
 今までの行いを、省みて反省していると、どこか嬉しそうな同級生が、ぼんやりと装飾を目一杯施した。
 何事かと思い、じっと彼女を見つめていると、自分に言い聞かせるように、ぽつりとこぼした言葉に、息が詰まりそうになった。

「私、みんなの人気者に話しかけちゃったんだよね、すごい、明日からクラスの自慢だよ」

 ……なんだ、こいつ、かわいいな、結婚して下さい。
 いや、そうじゃねえだろ・・・そうじゃないんだ、しっかりしろ宇佐見響也!!
 こいつがクラスに、自慢するイコール、俺が可愛い喫茶店でケーキを買ってたという事実が明るみになる。
 つまり、翌朝、え?なに?響也くんってそういう人だったんだ?!その面でメルヘンとか、キモーイ!みたいな、そういうのが起きる訳だ。
 あ、どうしよう胃が痛くなってきた、キモーイっていう音声が明確に想像できた。辛い。

「っぁ、此処で会ったこと、誰にも言わないでくれ」
「え?あ、そうだよね……私なんかと話しちゃったなんて嫌だったかな」
「いや、違うくて、その……だな……」

 そんな、残念そうな顔すんなよ……違うんだって、お前と話すのが嫌なわけじゃねえんだよ。俺が、ただ、恥ずかしいだけで、そういう意図があって言った訳じゃないんだ。
 そう弁解したい、それなのに口は縫いつけられたように動かすことが出来ない。恥ずかしい、そんな下らない感情が俺の発言の邪魔をするのだ。
 いつも、そうだ。俺は、下らないプライドと羞恥心で、動けない。
 これからもきっとそうで、こういう場面が幾度なく訪れて、同じように、こんな駆け引きをするのかと考えると嫌気が差した。

「宇佐見君……?」
「とにかく、二人だけの秘密にしてほしいんだ」
「秘密ってあの、それって、その……」
「おじょー!おじょー!」
「ッ律さんに、音無さんっ……」
「律さん?音無さん?(……アレ、こいつの知り合いか?)」

 おい、今の少女マンガなら最重要箇所だぞ、ファーストインスプッレッションだぞ、今から秘密の恋愛とか、始まりそうな位置だった気がする。
 そんな中で、オジョーオジョーと拡声器みたいな音声で、聞こえてきた男の声は、きっちりスーツを着込んだ大人の男が抱えたクマから発せられていた。
 きっちり、スーツを着込んだ、大人の、男が、明らかに、ファンシーな、クマの、ぬいぐるみを、抱えていた。
 あまりにも、唐突に訪れた視界の新次元に、頭が付いていかない。
 明らかに、俺より不審者だぞ、アレ……

「おい、お嬢!どこほっつき歩いて……え、なにお前逆ナン?そういう子だったの?それだと、お兄さん結構、ショックなんだけど……」
「違うよ、高校の同級生!」
「うっそ、マジでー!!なに?秘密の逢い引き中だった?だったらマジでごめんね、だわー!悪いことしたわー!」
「は!?……いや、ちがっ」
「たまたま、ここで会っただけだから!」

 全力で否定されると、真実なのに、それはそれで傷つく!!
 同級生の全力の否定に、ガラスのハートを粉砕されながら、訪れたリーマンとテディベアを眺めた。175センチの俺より、数十センチはデカいであろう体躯は、夕方の商店街で浮いている。ノンフレームのレンズの向こう側に映った切れ長の瞳から感情を伺う事は出来ず、無表情の能面が、より一層、持ち物の違和感を引き立てていた。
 こいつと、知り合いなんだよな?どういう関係なんだ?俺は、同級生の不思議な交友関係に、首を傾げた。
 妙に親しげで、騙されているだとか、悪い付き合いがあるようには思えない。しかし、一介の、しかもどちらかと言えば、大人しい部類の女子高生が相手の交友にしては、異様すぎる。

「ふうん、お嬢さんの同級生って事は、17歳……高校二年だよな。うんうん、いいねえ」
「(やっぱ、クマが喋ってんだよな?)んだよ…」
「いや?これからも、イケメンくんには、仲良くしてもらわねえと、いけねえなと思ってさ」

 なんだ、このクマ……てか、どうやってコイツ喋ってんだ?
 クマの表情は変わらない。しかし、高圧的な物言いをする男の声と、妙な機械音が耳について、クマの向こうにいる男の言葉の真意が、推し量れなかった。
 どこから、俺を見ているのか全くわからないクマを睨みつけるが、結局は無機質な可愛いぬいぐるみなので、意味がない事にすぐ気づいた。
 このクマはなんなのだと、攻めるようにスーツを身に纏った男を睨んでも、眼鏡の奥の氷のような視線に耐えきれず目をそらした。
 ああ、そうさ、俺は所詮チキンだよ……
 大人相手に、上手に振る舞えない自分を情けなく思い、俺は口を閉じることしかできなかった。

「お嬢、ケーキ買ったら帰って来いよ。忍、あとヨロシク」
「わかってます……って、音無さん!!ちょ、無理矢理、鞄に押し込まないでっ!!」
「(え、なに、この光景、怖いんだけど……止めた方がいいのか?)」

 クマから発せられる機動音が、プツリと途絶えた。
 一人?いや、一匹なのだろうか?奇妙なモノから解放され、一息付きたくなった。しかし、そのまま能面リーマンが、同級生のファンシーな鞄に無理矢理、クマを押し込むという、謎の光景が広がりを見せていた。
 意味が分からない!!
 いつからほのぼの日常を、俺は期待をしていたんだ!!
 何この非日常展開!異常以外の何物でもないじゃん!

「お、おい、やめとけって……」
「ちょっとお客さあん?何して……音無さんと、君か……で、何してんの?」
「は、蜂須賀さん!!今日は、あの折り入ってお話があったんですけど、あの、音無さん!?それ持ち歩きたくないの分かるんですけど、無言は……っ、無言はやめてくださいっ!!」

 俺が止めに入ろうとした途端、喫茶店から、不機嫌そうな、先ほどの超美形店員が現れた。
 お前と、コイツ、知り合いかよ……というか、このサラリーマン一言も話さねえな。無言の行動が、怖すぎるだろ……コイツも良く許容してるよな、天使か。
 じっと、目の前の光景を眺めていると、意識高めの店員が深い溜息を吐き出して、ひどく冷たい目線を二人に向けていた。
 お前、想像以上に二重人格だな……って俺も人のこと言えないけどさ。

「ホント、何してんの?あと、事務所には、行くって昨日言ったよね…あと、僕、今、仕事中、わかる?」
「そ、それは、重々承知なんですけど…」
「はあ、音無さん……は、喋らないから、まあ、いいや。30分間、テーブル席で待ってて、いっとくけど奢らないから、そのつもりで。僕、貢ぐより、貢がれる側だから」
「え、あ、あの…」
「30分で、上がりだからって事くらい、一発で理解して。その後、事務所に行ってあげるって、あのクマ社長に言っといてよ。……本当に意味分かんないクマだな」

 そう文句を言いながら、扉を開けた先では満面の笑みへ切り返していた。店員のプロ意識を垣間見て、これから行く喫茶店の店員に対して、疑心暗鬼を抱きそうだ。
 チリリンとなった扉と、静まりかえった俺と同級生の間は気まずい。
 じっと、彼女を見れば、やはり気まずそうな表情を浮かべていた。

「えっと、今みた事、私も内緒にしてもらっていいかな?」
「ああ、そうだな…」

 言おうにも、説明できねえよ…色々ありすぎて

 そのまま俺は、帰宅し、ぐちゃぐちゃになってしまった可愛い苺タルトを眺め、大きく色々な意味で溜息を付くことになったのも、仕方ない。
 後日、株価急上昇中の同級生に連れられて、訳の分からないクマや、全く喋らないマネージャーに勧誘を受けることも、その時に分かるわけもない。
 そして、死ぬほど腹の立つナルシストとの色々なトラブルも、その時、普通の男子高校生だった俺が、分かるはずもない。

 それは、全部、仕方のない、決められた事なのだ。

ストーリー
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